鵝珠

「ガシュ」は、梵語の「鵝珠」の日本語読みらしい。 インドのスラムでもらった名前にして、面白い因縁だ。今度から漢字で書くときはこれにしよう。

大莊嚴論經(fascicle eleven. お経ですな)より。あるところに僧侶と宝石商がいて、宝石商の宝石をガチョウが飲み込んでしまった。そのガチョウが、僧侶の流血を飲みにいった時に、宝石商に殺されて、裂いたガチョウから宝石が出てきましたとさ、といった話。うーむ、いかにも梵的。

「鵝=ガチョウ、珠=宝石」

ぼくは宝石を飲み込んだガチョウで、油断すると殺されてしまうのだろうか?

2001 365/365

眠れないので、今年最後の記録。年は、2001年から2002年になろうとしている。今年を振り返っての所感は今はまだ整理できないのだけれど、概して2001年という年の記号が子供の頃はあれほど重要だったのに、予想していたよりも平凡な年で終わってしまったな、と思う。

単純に子供心に描いていた未来のひとつの基準が2001年だったのは、「2001年宇宙の旅」のせいか、「21エモン」のせいかは分からない。一般人でも、お金を払えば宇宙旅行に行ける、ということにはなったのは良いことなのかもしれない。単純にアメリカとソビエトの冷戦時代程宇宙開発で競い合うことがなくなったから、というのがひとつの理由だとしても、半世紀ほど前にテレビの前で月面着陸の映像を見て感動した人たちはそれ自体驚くかもしれない。(最近の子供たちの未来像ってどこにあるんでしょう?)

一方で、予想していなかったようなネガティブな大きな事件があった。WTCの事件だ。それとその顛末。まだ解決されたものではない。人が暮らす世界での価値観と世界観の相違を理解することは、大衆としては不可能だと思う。でも、そこで共生するための社会構造なりを模索していくことが必要だと僕は思っている。一方で、これに関しては、ロズウェル事件だったりケネディー暗殺ばりのアメリカの秘密的な見方をしている節もあるけれど、それは違うと思う。第一に、今のCIAがそれだけの力を持っているとは思えない。でも、そういった論調がメディアでもっと流れても良いとは思うのだけれど。

湾岸戦争の時に感じたもの、”Virtual War” なんて言葉もあったけれど、それとは違う感触があった。ひょっとしたら僕もVirtual に麻痺してきているのかも知れない。でも、多くの人たちは、きっと意味を考えずに忘れてしまうだろう。

ジョン・レノンとプラスティック・オノ・バンドの、”Happy Xmas(War is over)” という美しい曲は、何か複雑な感慨を持って今年は流れたのだと思う。ジョン・レノンの、あの当時の反戦活動とか、この曲にこめられたものは、ベトコンとか直接的なものを差し置いて、「僕らの世代はもう戦争は起こさないんだ」という意志のようなものがあったと思う。

僕はジョージ・ブッシュが好きではない(ゴアはハイテク通だったから好きだった、というのは差し置いて)。今のアメリカは、1970中盤~1980前半のサイクルをもう一度繰り返そうとしているように見える。社会構造の矛盾を抱えているのは、その国に限ったことではないだろうけれど。期待としては、そういった時代には、アンダーグラウンドなサブカルチャーが花咲く傾向があるので、何か新しいアートなりが形作られるのかも知れない。少なくとも、StarWars Episode III は、その時のアメリカを映したようなダークな(そして素晴らしい)ものになるんじゃないだろうか。

しかし、移民するならば、今でも僕は最終的にアメリカを目指すだろう。

所詮、グレゴリオ暦の数字なんて、大した意味を持たないが、今年から来年へ西暦は移り、新しいカレンダーが発売されて、またもう一度三月を迎えたりするのだろう。

後、一時間後には田舎の街に向けて出発。

皆とその家族に良い年の訪れを。