細部と全体

細かいところに意識が向く癖がある。
例えば、ある部分の仕組み、決まりごと / 定義はどうなっているのか。

もしこの仕組みを変えたい、という声があるとする。
その声は、曖昧なもので、どうするかをはっきりは言っていない。

そうすると、細かいところだけを考えても、
よい答えは出てこない。
限られた情報、今ある制約、
その中で試行錯誤するに留まることになる。

肝要は、「ある部分」という細部ではなく、全体を捉えること。
全体をイメージしたうえで、
「ある部分」の周辺にあるものを捉えること。
その周りにいる人が、どう関係しているのか、
ほかの仕組みとの関係はどうなっているのか。

細部から周辺にイメージを広げるのではなく、
輪郭が多少曖昧でも、全体をイメージする。
そこから、「ある部分」へ焦点を絞る。

そこで、全体の中での位置づけや、
他の部分との関係を捉えて、考えて、
よい答えや、手がかりを導くことができる。

視点を切り替えること。

自然と、そういった捉え方ができるようになるには、
どうすればよいのか?

ひとつ得た助言は、常々、ポンチ絵を描く / イメージすること。

全体のイメージの中で、今そこにある主題を捉える / 表現する / 評価する。

この捉え方は、話上手な人が共通して持っている感覚にも通ずると思う。
話が面白く広がる。納得感がある。
全体のイメージが捉えられているからこそ、
聞き手も聞き易く、自分自身の接点を見出し易い。

逆に、細部をより突き詰める対話もある。
例えば、音楽の話をしていて、掘り下げて、マニアックな話で盛り上がるとか。
これはこれで楽しいんだけど、分かるひとにしか分からない。

こと会話に関しては、聞き手の捉え方を理解しながら、
上手く使い分けることが大事ってことなんだろう。

全体を捉えて考える。話す。
そのために絵をイメージする。描く。

しばらく、強く意識していこうと思う。

2 thoughts on “細部と全体”

  1. 全体と細部のバランスって難しいですよね。
    全体を捉えようとすると細部がおろそかになり逆もまたしかり。
    困ったものですw
    試行錯誤の毎日です。

  2. 全体と細部。以前は、ものの見方の違いだと捉えていたのですが、今は論理のアプローチの仕方の話だと思うようになりました。

    全体から細部を察するときは、仮説が伴っていることが必要で、それはヤマカンでもよい。違ったら補正すればよい。説明も簡単。

    細部から全体を察するときも、仮説は伴いますが、さらにそこから派生する仮説の連鎖が圧倒的に多い。だから説明も、ズレた場合の補正も大変。

    それぞれ違うアプローチだから、必要に応じて切り替えて、バランスを取れると素晴らしいですよね。

    ちなみに、全体からのアプローチが偏重されるのは、合理性を追従する結果なんだろうなぁ、と思ってます(合意形成もしやすいので)。逆に、アカデミアとか研究的な意味合いが強い領域だと、より細部からのアプローチが必要になるのではないかな、と。

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