上善水如

先週、祖父が遠くへ逝った。92 歳。8 月の間に会いに行こうと心に決めていて、向かうと決めていた日曜日の前の木曜日に息を引き取った。もっとたくさん話したかった。話すこともあった。同じことなのかも知れないが、繰り返しでも話したいことは幾つもあった。でも、寂しいとは思わない。ぼくは、たくさん彼と話したし、秘密も伝えた。喉元の寸前で止めるか止めないか迷うことは、でも思い切って必ず話した。そしてそれが楽しかった。

祖父は、死に際の寸前数分前まで看護婦さんと話していたそうだ。あとどれくらいなんだっぺ?とか。傍にいた母は、「そんなこと言うと、看護婦さんもお医者さんも困るでしょ!」と宥めて、祖父は「そうだよな、そんなこと分かっても昨今は言いもしないだろうよ。ごめんなさい。」なんて言っていたんだって。それから、「もう終わりにする。」と言って、水をごくごく飲み干して、ゆっくり眠りについて、もう起きることは無かった。

ぼくは、日本酒の「上善水如」の小さいほう (720 ml.) のやつを買って、以前酒を買って向かったように、同じくして祖父の元へ向かった。本当に驚くくらい顔色が良くて、安らかで、ちょっと散歩をして帰ってきた頃には眼を覚ましているんじゃないかってくらの優しい寝顔だった。叔母は、ぼくがもっと大きい一升ぶんの上膳水如を買ってこようか迷ったんだって話すと、三途の川の前で酔っ払っちゃしょうがないべ、なんて言う。確かにそうだ。神式の、祖父の棺にはどこぞの紙パックのりんごジュースだか何かの後に入れた、上善水如がともそこに在った。

通夜の前の夜の、祖父が寝慣れていた場所には、不思議なことに一羽の喋々がいつもいた。祖父の足元や、枕元や、胸元や。顔に乗ることは無かった。本当に不思議だ。二晩の間、ずっとそこにいた。綺麗な喋々だった。従姉妹は、「あれはお婆ちゃんなんだよ!」って言っていた。ぼくもそうだと思った。

世界はまわって、今ぼくはここにいる。世界はまわって、今祖父はここにいない。世界がまわっても、まわらなくとも、祖父はぼくの中にいる。だから、ばくらには何も悲しいことなんて無い。