Meditation

祖父の見舞いへ。元気そうだった。初詣の時に買った御守りを渡して、仕事のことや、この頃の生活のこと、いろいろと話した。いつものように、「早く嫁さん見つけろよ!」などと言われる。でも、別に気になるって訳ではないんだって。

祖父はカラオケが好きなのだが、このところ知ったカラオケが数十曲入ったマイクや、テレビ電話のように話せる携帯電話について、技術の進歩に驚いていた。たいそうなものだって、いささか興奮した面持ちで話す。今は病院で最長老ではなくて、ひとつ年上のおばさんがいるらしい。92 歳のおばさん。

「この頃は起きていても眠っていても怖い」と、唐突に言う。たまに訪れる痛みが怖いのだと思う。痛みは慣れてしまうことも出来るけれど、たとえ慣れたとしても怖い。反復する痛みと、はっきりした意識から、怖れを抽象的で明確な存在としてすぐ傍に感じてしまうのだろう。

ひとつ、これまで話したことが無いことを伝えたら、すごい喜びようだった。目が輝くってこういうことを言うんだなってくらいの。それから今日気付いたことは、祖父の手は大きさだった。どちらかというと小柄で華奢なのに、しっかりした大きな手だった。ぼくよりずっと指が太くて、男らしい手をしている。年輪を重ねた皺と血管と温度は力強い。

逆に健康を気遣う言葉をもらった。「御守りがあるから怖くなんかないよ。」と言って、病室を後にした。

帰りの電車を待つホームでふと考えた。不安や怖れへの対処は、それを怖くないと信じることにある。誰でも不安や怖れを抱くことはある。でも、傍にいる誰かの存在や、何かしらの優しいものが、それを怖くないと信じることが出来る切欠になるんじゃないかと思う。


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