Learning To Fry

祖父の見舞いへ。

1 月に会って以来。久しぶりに会った祖父は思ったより元気そうだった。少し太ったかも知れない。そう言ったら、「入れ歯をしてないからだよ。入れ歯をつけたらもっといい男になんだよ。」なんて言う。

以前入院していた病院は酷いところだった。いるだけでこっちが病気になりそうなところだったし、親戚の叔母も何度か先生と喧嘩していた。今いるところは心なしか明るい感じがした。病室の窓からは栗林が見えて、今は緑の栗が沢山見える。

祖父が孫がやってきたんだって看護士のお姉さんに紹介すると、「独身ですか?」と聞く。そうだと答えると、「じゃあ、今度合コンしませんか?」なんて、軽い冗談を飛ばす。明るい人たちが回りにいて、少し安心だ。

1 時間くらい話してたんだろうか。祖父が、「麦ジュース」を飲むとか ―― 院長さんと話して、「麦ジュース飲んでもよかっぺよ?」「麦ジュースって何だっぺ?」「ほら、あの、麦で出来てて泡が立つやつよ。」「そりゃ、ビールでねぇか!んー…じゃあ、秘密だが特別に許そう。」とかそういう話があったんだって。事務室に冷やしてある秘密の麦ジュースを看護士さんに言えば持ってきてくれるんだそうだ。ひとつ残ってたそれを祖父はぼくに勧めて、最初は断ったんだけど折角だからって飲んだ。小さい缶のやつ。 ―― 、妹夫婦が一昨日来て、旦那の背は高いな、だとか、「そろそろ嫁さん見つけろ!おれはあと持ってもせいぜい 1 年か 2 年だよ!生きてるうちに結婚してみせろ!」「だー、高度資本主義社会に於ける昨今の男は結婚する年齢は高くなる傾向にあるんだよ!もっと長生きしてよ!」だとか、最近の世論・天気などについて、笑い飛ばすように楽しく話し合った。

祖父は、今 90 歳だ。でも、言葉も言うことも明晰だ。たいがいのことは笑い飛ばす。そして決して怒らない。ぼくは彼が怒るところを見たことは過去に 2 回しかない。いとこが母親より早く他界した時と、祖母が他界した時だ。いとこの時は、棺桶に向かって馬鹿野郎って怒鳴りつけた。祖母の時は、酒を煽って葬式の最中に泡を吹いて倒れて、駆けつけた救急員を怒鳴り帰した。

ぼくは、祖父とは親戚のうちでは父親よりも母親よりも、腹を割って、というのか、自然に話すことができる。

後で叔母から聞くと、先週車椅子からベッドにひとりで上がろうとして転んで、あばら骨を折ったらしい。だから骨が弱くなったって言っていたんだと思う。

暫くしてから叔母が来て、病院を後にして祖父母の家に行って祖母に線香をあげてきた。祖父は元気で、ひとりは寂しいかも知れないが見守ってやってくれ、といったことと、ぼくも元気でそれなりにやっていることを伝えた。

その後、2 階にあるオルガンを暫く弾いていた。これを最初に弾いたのはいつだったろう?8 歳か 9 歳くらいのころだったかな。最初はうまく弾けなかった。今も優しくて温かい音がする。今は誰も住んでいないその家で、空っぽの部屋で、過去を懐かしみ、現在を歓迎するように、決して寂しい響きではなく、ただ優しく、その音は響いた。


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