先日、Microsoft の新しいOSである WindowsXP Home Edition 英語版をノートPCにインストールしてみました。インストールしたのは、だいたい2年程前のPCで、メモリは128MBまでなので、ついでにハードディスクを新しいものにしました。購入したOSがOEM版だったのでいずれにせよ何かしらのパーツを買う必要があったので良いタイミングでした。
ハードディスクの付け替えはちょっと神経を使いましたが、インストール自体は何の滞りもなく終わってしまいました。インストールしてみた印象としては、まず、文字がとても綺麗です。XPではClearTypeという新しいアンチエイリアス(ベクトルで文字形成を行う仕組み)の機能が組み込まれており、ノートだとそれが良く分かります。日本語だとあまり効果が分からないため、このためだけに英語版を買ったといっても過言ではないです。動作自体は、新しいテーマスキーマを使っても、Windows98よりは軽快に動作してるように感じています。チューニングとして、いくつかの視覚効果と「システム復元機能」は無効にしました。
このノートを主に使うのは僕ではないのですが、NTらしく、ユーザごとのアクセスコントロールを行うことが出来るので、過ってシステムを壊してしまう、ということを少しなりとも回避出来ます。複数ユーザーで同じPCを扱う場合にとても便利に感じました。
ひとまずセットアップだけで満足してしまったので、あとは使う人に委ねてます。もう殆ど触ってません。。。お金払ってセットアップして喜んでいる自分が少しおかしい。
所感としては、やはり英語版でも基本的には日本語アプリケーションも扱える点が大きいです。Windows2000からその点は実現されています。Microsoftの日本語訳にどうも馴染めません。ちょっと今回は特に英語版と日本語版のUIの差異が目立つように感じます。多分、自分が平素あの日本語版を使ったらストレスを感じるでしょう。また、ClearTypeに関しては、せめて日本語でもデザインの変更で「特大のフォント」を選んだ場合にはかかるくらいに設定すべきだったように思います。アンチエイリアスを見て、コンピュータを使ったことが無い人が使ってみようかな、と思うような場合もあるでしょう。この点に関しては、MacOS X(9も)の方が優れていると思います。Apple の方が UI のローカライズに気を使っているのか、UI の言語ごとのギャップが少ない印象があります。Microsoft の場合は、ちょっと Pax Americana(アメリカ中心秩序)的な印象があります。
GUIというのを考えた場合に、WINDOWSの今後の課題のひとつとして、視覚的にも意味訳にしても、それぞれの言語で見やすい・伝わりやすい形に改善していくことが挙げられるでしょう。XPでも、初歩的な対話型のUIを備えていますが、今後音声認識などが発達するにつれ、この言語ごとの差異の問題がより浮き彫りになってくるでしょう。また、単純に言語でなくて、使う人の世代、属性なども含めてフレキシブルな形になっていくのが理想かも知れません。そういった意味では、新しいタイプのローカライズ・エンジニアが生まれる可能性があるのでしょう。「戸田奈津子訳のWINDOWS」などあってもおかしくは無いはず。